「東京の落語界」はどのように「分裂」してきたか? 愛憎が入り乱れる「複雑な歴史」(現代ビジネス)
「東京の落語界」はどのように「分裂」してきたか? 愛憎が入り乱れる「複雑な歴史」
東京の落語界
六代目三遊亭円楽がなくなったとき、「落語界統一」について書かれた記事を見た。 この夏、会見で円楽が語ったらしい。 【写真】『笑点』のメンバー交代、桂宮治の「大抜擢」の後に起きること 協会を統一したい、と述べ、追悼記事では「その夢も叶えぬまま」と書かれていた。 東京の落語界はいくつかに分かれている。 大きなものは「落語協会」と「落語芸術協会」である。 大正末年から昭和初年(1920年代)ころに、その大元となる協会が発祥し、そこそこ歴史があり、まあ、戦争になって一度すべて一緒くたにされたのだが、戦後ふたたび、別の団体として出発した。 長らく東京の落語界はこの2団体で興行してきた。 定席の寄席(年末2日をのぞき一年中毎日営業している落語を聞く場所)も、だいたいこの2団体が交互に興行を打つ。 この2つが基本の「団体」である。 あと2つ別の落語家集団があるのだが、並べて同じレベルの「団体」とは言えない。そちらに所属している落語家はある意味かなりマイナーだからだ。 「落語協会」と「落語芸術協会」には、まったく別の系統の一門が一緒に所属している。 柳家も、三遊亭も、桂も、林家も、古今亭も、春風亭も、柳亭も、橘家もそういう一門がみんな所属している。 『大工調べ』という落語に出てくるお金は、古今亭は「一両と八百」だが三遊亭は「一両二分と八百」である。いろいろと違いがある。そういう別派閥が一緒にいる。それが団体だ。 もう2つの集団は「五代三遊亭円楽の一門」だけで構成されている円楽一門会と、「立川談志の一門」だけで構成されている立川流がある(円楽一門会は、また円楽党とも呼ばれる)。 これを称して「東京の落語界には4つの団体がある」と言い切るのは、いつも少し違和感がある。ざっくり言い切ろうとして、不親切だ。 少なくとも、これから落語家になろうとおもってどきどきと師匠を選びをしている落語少年、落語少女に対して、情報として不親切だとおもう。
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